1980~2015ナンバープレース私史

今や世界のパズルファンが楽しんでいるナンバープレース。このナンバープレースがどのように生まれ、どのようにして進化し世界に広まっていったかという歴史を、ナンプレにかかわって35年になる筆者が書き記してみたいと思います。(西尾徹也/パズル作家・日本パズル連盟代表理事

1.ナンプレの祖先はラテン方陣

古くからのパズルにラテン方陣といわれるものがあります。これはn個のマスが並ぶ正方形のマスのすべてのタテ・ヨコと2本の対角線上のどの列にも1~nの数字が1つずつ入るようにするというパズルです。もともとのラテン方陣は18世紀のスイスの数学者、オイラーが名付けたもので、対角線上では数字が重複していてもかまわないのですが、それではパズルとしては深みが足りないというわけで、パズルの世界では対角線も1~nとするというルールが採用されていました。

ラテン方陣の例

ラテン方陣の例

対角線も1~nの数字が入るラテン方陣パズル

対角線も1~nの数字が入るラテン方陣パズル

2.Number Place誕生

このラテン方陣パズルも面白いパズルですが、nが大きくなればなるほど等比級数的に難解になるし、かといってnが小さいままではパターンが限られてあきてしまうという欠点がありました。そこで対角線のしばりを外し、かわってn=9とすることで3×3マスのブロックを9個設けて各ブロック内にも1~9の数字が1つずつ入るという画期的なルールを考案したのがアメリカのH・ガーンズ氏。1979年のことで「NumberPlace」と名付けられたそのパズルはアメリカのデル・マガジン社が発行している「Dell Pencil Puzzles and Word Games」に掲載され、以後、同社のワード・パズルが中心のパズル雑誌に刺身のつまのような形での掲載が続いていました。だからでしょうか、難易度はまさに初心者向け。図のようにほとんど考える必要がなく機械的に数字が埋まってしまうというレベルでした。

Dell Magazine社『crossword puzzles』 1985年5月号に掲載されたNumber Place

Dell Magazine社『crossword puzzles』
1985年5月号に掲載されたNumber Place

3.米国のNumber Placeが日本でナンプレ・数独に

その80年代初頭のデル・マガジン社のナンバープレースを知った日本のパズル愛好家も興味を抱いていました。同時にもっと難度の高いものやもっと美しい配置のナンバープレースができるはずだとも考えており、そんなコンセプトで作られた問題が相次いで2社のパズル誌に発表されました。

そのひとつの雑誌「ニコリ」では「数字は独身に限る」というタイトルで作品を発表。もうひとつの雑誌「パズラー」での筆者の作品には、創始者のガーンズ氏に敬意を表してそのままの「ナンバープレース」の名を採用しました。その後、言葉を縮めるという日本人ならではの特性がここでも発揮され、前者は「数独」、後者は「ナンプレ」という名が定着し現在に至っています。

4.バリエーション・ナンプレが続々と誕生

80年代半ばから日本のパズルファンに広まったナンプレは、パズル作家をはじめとするパズルファンの創作意欲を大いにかきたてるものでした。オーソドックスなナンプレはもちろんのこと、特別ルールを加えた変わり種ナンプレが筆者の周りで次々に誕生していきました。

まずはラテン方陣パズルにあった対角線も1~9が入る、いわば先祖返りした「対角線ナンプレ」。9マスのブロックの形がさまざまな「幾何学ナンプレ」。特別なエリアの9マスにも1~9の数字が入る「特別エリアナンプレ」。かくいう筆者も1~9に加えて0も入る「0to9ナンプレ」や数字が連続するマスには印が入る「1つ違いナンプレ」などいくつかのタイプのナンプレを考案しています。こうした新種ナンプレの多くが90年代~00年代に日本のパズル作家たちの手(頭?)によって生み出されました。

5.「Sudoku」が世界に広まる

日本国内においては、人気パズルの1つとして定着していたナンバープレースですが、海外での認知度はもうひとつ。しかし、それを一変させるトピックがおこりました。

90年代終わりにウェイン・グールド氏というニュージーランド人が日本を訪れ、パズル好きの彼は書店で日本のパズル誌を買い求めます(日本語が読めなくともロジカルなパズルは例を見ればルールを理解できます)。その中で彼がいたく気に入ったのがそのとき手にしたニコリの「数独」の新書。その後、解くだけではあきたらず自分でも作るようになり、その作品を売り込んだ先がイギリスの新聞社タイムズ。「Sudoku」の名で毎日1問掲載されると読者の評判を呼び他紙も追随。あっという間にイギリスでブームになると、ヨーロッパ各国にも飛び火。そこから世界中に広まるのは瞬時のことでした(日本にも逆輸入?されました)。

かつて、クロスワードもこのような形で世界に広まったらしいのですが、この降って湧いたようなブームには本当に驚いたものです。おかげで筆者もナンプレを四半世紀以上作り育ててきたことから、世界では「ナンプレの育ての親」ともいわれ、各国メディアの取材を受けたり、海外で作品集が出版されたりするようになりました。

6.第1回World Sudoku Championship開催

世界パズル連盟という組織があり(日本パズル連盟はその組織の一員)、1991年から毎年「世界パズル選手権」を開催しており、2015年にはブルガリアで第25回の大会が開かれました。その世界パズル連盟で、世界的なSudokuブームを受けてSudokuに特化したスピンオフ大会を開こうという声が会員国から出てきたのが2005年のこと。翌年にイタリアのルッカで第1回の選手権が開かれ、こちらも毎年開催されて年々盛況さを増しています。

しかし、その第1回は急に開催が決まったものですから、時間的に日本の選手を選ぶ国内大会を開くことが不可能でした。とはいえ、どういう大会になるのか日本パズル連盟としても世界パズル選手権には第1回から皆勤の西尾個人としても視察はしておくべき。そこで選手を兼ねて視察に出向きました。その結果、筆者は4位。「一人だけ白髪頭なのがおかしかった」と海外のパズル仲間からいわれたように、頭の回転速度はもう若者たちにはかないませんが、出題されたさまざまなバリエーション・ナンプレには慣れていることが、そこまでの成績となったのだと思います。図の2問は9人による決勝ラウンドで出題された各1問を10分以内に解くバリエーション・ナンプレです。

決勝ラウンドで時間内に筆者だけが解いた、W・S・Cのそれぞれのエリアの9マスにも1~9の数字が1つずつ入る「特別エリア・ナンプレ」

決勝ラウンドで時間内に筆者だけが解いた、W・S・Cのそれぞれのエリアの9マスにも1~9の数字が1つずつ入る「特別エリア・ナンプレ」


決勝ラウンドの準決勝で4人のうち西尾を含む3人が数字を1個しか入れられなかった辺が上下・左右に連続しておりブロック内にも1~9が入る「トロイダル・ナンプレ」

決勝ラウンドの準決勝で4人のうち西尾を含む3人が数字を1個しか入れられなかった辺が上下・左右に連続しておりブロック内にも1~9が入る「トロイダル・ナンプレ」

7.歴史が作ったナンプレ大国

World Sudoku Championshipの第2回からは日本国内の大会で選ばれた選手が日本代表として参加するようになり、常に上位の成績を修めてきました。しかしながら団体優勝はあっても個人の部での優勝はなかなか遠いものでした。

ですが2014年の第9回大会でとうとう森西亨太(こうた)氏が初優勝。翌年の第10回大会も連覇し今や世界一のナンプレ・ソルバーの名を獲得しています。筆者が視察ついでに選手として参加した第1回とは問題の難度、参加者数ともに大幅にアップしていますから、そこで2連覇するというのは並大抵のことではありません。また日本は団体の部でも2連覇中。森西氏だけではなくトップレベルの解き手がそろっていることの証しです。

これらのことからも日本はナンプレ大国であるといえますが、それは日本のパズル作家や愛好家たちによる30年以上かけてナンプレを進化させてきた歴史から生み出されたものでしょう。今後もさらにナンプレは進化していくと思いますから、ぜひ、あなたもそんなナンプレ発展シーンにお付き合いいだければと願います。